『 疑 惑 』

 レイチェルは部屋で、カークの宇宙服を握りしめていた。
 ボクが部屋にはいると一瞬驚いてこちらを見たが、またすぐに宇宙服を抱きしめた。
 ボクは大丈夫かと声をかけた。
「‥‥カークは‥‥死んでなんかいないわ。」
 レイチェルは呟いて宇宙服を机の傍に置き、ベッドに潜り込んだ。
 しばらくすると、静かな寝息が聞こえたので、ボクはカトゥー達の所へ行く事にした。

 コクピットでは、ヒューイが通信システムを調べ、カトゥーはそれ以外のシステムに異常がないかを調べていた。
「船内に異常はないみたいだな。」
カトゥーはマザーのシステムもチェックしていたが、そちらもさっきの揺れでの異常はなかったようだ。
「な‥‥なんて事だ‥‥」
 ボクらはヒューイに向いた。
「ア‥‥ アンテナが吹き飛んでいる‥‥」
 ボクらは愕然とした。

 ボクらはこれからの行動について話すためにリフレッシュ・ルームに集合したが、みんな動揺してしまっていて、話は全然進まなかった。
 ホルも、こんな状況になったのにまだ姿を見ない。
「船長どうしちゃったんだろう‥‥いつも僕らのことを心配してくれてたし‥‥かばってもくれた。船長はいつも言ってたよ。『この会社のやり方は人間らしくない』って‥‥」
 ボクはカトゥーの隣に座って、カトゥーの呟きを聞いていた。
「この船は最悪だ! こんな事なら自分で宇宙を泳いでいった方が安全ってもんだ。」
 ダースが吐き捨てた。
「どうすれば‥‥ どうすればいいんだ‥‥」
 ヒューイは誰ともなく訊ねた。
 声帯がないボクには、声をかける事もできない。ボクが『声』をかけてもその解釈は人それぞれで、余裕がなかったらきっとボクの『言葉』はちゃんと伝わらない。
 ボクにできるのはコーヒーを入れる事だけだ。
 ボクは席を立ち、ヒューイにコーヒーを運んだ。
「あ ありがとう、‥‥」
 ヒューイは少し、落ち着きを取り戻したようだ。
「そうだ、僕は船長補佐だ‥‥。こんな時こそ僕がしっかりしなきゃ‥‥。」
 その時モニターが小さな音を立て、見た事のある髭の壮年の男性が映された。
「船長!」
 カトゥーが叫んだ。
 ヒューイが椅子から立ち上がり、僕ももっとよく見ようとモニターに近づいた。
「部屋にいたんですか? 大変なんです! カークが‥‥」
「何、それは本当かね!?」
 ヒューイの言葉にホルは驚いた‥‥ように見せかけている様に、ボクには見えた。
「それは‥‥気の毒に‥‥。まずはこの事態をおさめる事だ。彼をとむらってやろう。準備してくれたまえ。私も今行く。」
「あ 船長‥‥」
 ヒューイは、まだ話は‥‥とモニターへ駆け寄るが、ホルの淡々とした、一方的な言葉だけを流して、モニターの電源はすぐに切れてしまった。
「冷静な船長さんだな‥‥部下が死んだってのにああふるまえるとは‥‥」
 ダースはまた吐き捨てた。
 ヒューイはダースの前まで行って何かを言おうとしたが、その言葉を飲み込んでしまった。
 少し間をおいて冷静さを取り戻してから、ヒューイはカトゥーに言った。
「僕はエアロックを準備してくるよ。」
「‥‥じゃあ、僕はカークさんの部屋へ‥‥。遺体といっしょに入れる物がないか見てきます。」
「ああそうか‥‥お願いするよ。」
 足が重そうに、カトゥーとダースは後部ドアから出て行った。
 ヒューイも足を引きずるように、前部ドアから出て行った。


 ボクには‥‥ボクにできるのは、みんなを見守る事だけ‥‥。
 もっと何かできればいいのに‥‥。


 レイチェルがもう起きたかもしれないので、ボクはレイチェルの部屋へ行った。
 しかしレイチェルは部屋をロックしていて、誰にも入室許可を出していなかった。
 カークを好きだったレイチェルは、きっと他の誰よりもショックを受けているだろう。きっと一人でいたいんだろう。
 そう思って、ボクは隣の部屋を見た。カークの部屋だ。
 プレートをチェックすると、カークが死んだので荷物回収のためにロックを解除すると出ていたので、ボクは名前を入力して部屋の中に入った。
「何だろうこの本?『ワープ航法は実現するか?』か‥‥カークさんらしいや‥‥。」
 カトゥーがカークの荷物をカークの事を思いだしながらまとめ、ダースはそれを手伝っている。
「そういえば口癖だったな。カークさんが物事をせかすとき‥‥『何やってるんだ!そんなのワープでやっちまえ』って‥‥。こんなところ勝手にいじったら、レイチェルさん怒るかな‥‥」
 こんなにもたもたやってたら、またせかされるな、とカトゥーは泣きそうな顔で呟いた。
「死者を弔う、か‥‥。そんなことしてやれるだけ幸せってもんだ。」
 ダースも呟いた。
 昔のことを思いだしているみたいだ。
 知っている人を、悲しいなくしかたで失ったのかな。
 荷物はあらかた片づいていたので、ボクはエアロックへ向かった。

 エアロックではヒューイが一人、カークを弔うための箱を用意していた。
「こんな事になってしまうなんて‥‥。」
 ヒューイは一人呟いた。
「たしかに僕は、カークをよくは思ってなかった‥‥。でも、死んでほしいなんて思った事はなかった‥‥!」
 ヒューイの目から、水が流れた。
 ヒューイはそれをぬぐうと、遺体を運ばなくちゃと言った。
 ボクもいっしょに、二人で医務室に向かった。
 ところが。
 医務室に行くと、遺体がなくなっていた。
 まさか、生き返った? いや、人間はロボットと違う。
 ボクがグルグル考えていると、ヒューイにカトゥー達を呼んでくるよう頼まれた。
 ボクは大急ぎでカークの部屋へ行き、二人を連れて戻ってきた。
「ヒューイさん、遺体が消えたって!?」
 カトゥーはヒューイに確認した。
「僕らがここに来たときには、もう跡形もなく消えていたんだ!」
 ヒューイもパニックになっていた。
「どういうことです!?」
「私に聞かれても困る。」
 ヒューイはダースに尋ねたが、ダースもそう答えるしかできない。
「生き返るなんてありえないし‥‥遺体なんて持っていっても仕方ないし‥‥」
 カトゥーは色々考えてみた。そこにダースが思いだして尋ねた。
「それよりレイチェルとかいったな。彼女は呼ばなくていいのかね?」
 みんなはっと気付き、大急ぎでレイチェルの部屋へ行ったが、レイチェルは寝ているのか、まだロックがかかっている。
 しかし、耳をすますと中からレイチェルの声が聞こえる。
 ‥‥でも他の乗組員は全員ここに揃っている。
 一体誰と‥‥?
「レイチェル、大変だ!カークが!出てくるんだ!」
 ヒューイが叫びながらドアを叩いたが、レイチェルは開けるどころか返事もしない。
 ダースはドアをこじ開けようとした。
 そうこうしているうちに、カトゥーが端末からレイチェルの部屋のロックを強制解除してきた。
 ドアを開けると、そこにはレイチェルと、ベッドに寝かされたカークの遺体があった。
「‥‥待ってて、私クッキーを焼いてくるから‥‥。あなた、大好きでしょう? フフ‥‥」
「な‥‥何してるんだレイチェル!」
 ヒューイは遺体に話しかけるレイチェルの肩をつかんだ。
「‥‥この人は‥‥誰にも渡さないわ‥‥。」
 レイチェルは立ち上がり、ヒューイを睨んだ。
「ヒューイ、あなたの考えはわかってるのよ。カークを殺せば‥‥私があなたのもとに、かえると思ったのね‥‥!!」
「バ、バカいうな‥‥しっかりしろレイチェル!」
 ヒューイはレイチェルを落ち着かせようとした。
 その時。
 それぞれの部屋に取りつけられた船内通信用のインターフェイスから声がした。
 全員が、ここにいるのに。
「ソコカラ ニゲロ レイチェル」
 カークの、声だ。
 レイチェルが泣きそうな、でも嬉しそうな顔でインターフェイスに近づいた。
「ヒューイガ オマエヲ ネラッテイル オレハ イマ エアロックノ マエニ イル ハヤク カラダヲ トリモドサナクテハ スグニ キテクレ」
「‥‥!」
 終わるが早いか、レイチェルは部屋を飛びだしていった。
 あまりの出来事に、他の全員が行動が遅れた。
「レイチェル!!」
 まっさきにヒューイがレイチェルを追い、続いて他の全員がエアロックへ向かった。

「バカなまねはよせ!」
「は はなしてーッ!!」
 幸いレイチェルがエアロックを解放してしまう前に、ヒューイ達がレイチェルに追いついたようだ。
 しかしレイチェルはまだ気が立っていて、何とか『カーク』を中に入れてやろうともがいていた。
「落ち着くんだ!」
「レ レイチェルさん 気を静めて!」
 落ち着く‥‥ボクにレイチェルを落ち着かせる事はできないだろうか‥‥
 そうだ、コーヒーを飲めば落ち着くかもしれない。どうせここにいてもただ見守っているだけだ。
 ボクはコーヒーを入れにエアロックを出て、エレベータへ向かった。
 だが、ボクは倉庫から物音がするのを聞いた。
 そして聞き覚えのある咆吼。
 ボクが聞いた事のある咆吼といえば、あれしかいない。
 ボクは慌ててコンテナ・エリアに入った。
 部屋の電気がつかない。
 そしてあの頑丈そうな檻は何者かによって解放されている。
 中の獣は‥‥コンテナの間を徘徊している。
 毒は関係なくても、一噛でボクも壊れてしまうだろう。
 ボクはベヒーモスに気付かれないよう気をつけて、コンテナ・エリアから移動した。
 エアロックでベヒーモスの事を話すと、全員に動揺が走った。
「何だと ベヒーモスが!!」
 その時ダースの、レイチェルを押さえる手がゆるんだ。
 レイチェルはその隙にカトゥーを押し飛ばし、ハッチのボタンを押した。
「しまった!」
 みんな慌ててまわりの物につかまる。しかし、ボクのアームは届かない。
 たちまちボクは、部屋の空気といっしょにハッチの方へ吸い込まれていく。
 イヤだ!
 ボクは宇宙でも死なないけれど、カトゥーといっしょに地球へ行きたいんだ!
 ボクは必死でアームを伸ばした。
 何とかハッチの所の手すりに引っかかる。
 でも、引っかかっただけだ。あと数秒しか耐えられそうにない。
 その時カトゥーが、つかんだ物から手を放すのが見えた。
 カトゥーはいろんな物につかまりながらここまで来て、ボクを捕まえてくれた。
 ダースとヒューイがレイチェルを押さえながら、ハッチのボタンを押した。
 間一髪で、ボクとカトゥーは宇宙に投げ出されずにすんだ。
「大丈夫か‥‥? よかった‥‥壊れてはいないね‥‥」
 ボクは全然平気だよ。それよりカトゥーの手の方が、ずっと痛そうだよ。
 ボクは声を出した。
「いいか? 落ち着いてよく聞くんだ。」
 中ではダースがレイチェルを諭していた。
「あんたがさっき医務室で見たのは何だ? あのベッドに横たわっていたやつだよ‥‥いいか冷静になるんだ。」
 レイチェルは呆然と立ちつくしていたが、やがて座り込んでしまった。
「悲しいかもしれんが、あの男はもうこの世にはいないんだ。」
 ダースはとても悲しそうな顔でレイチェルにそう言うと、ドアの方に歩き出した。
「あとは大丈夫だな? 私は向こうを見てくる。」
 歩くダースに、ヒューイは声をかけた。
「あ、あの‥‥ありがとうございます。」
「フン‥‥私も宇宙で死にたくはないからな。」
 少し照れくさそうに答えると、ダースはエアロックを出て行った。
 それからちょっと間をおいて、ダースがベヒーモスのコンテナから通信してきた。
「私だ。コンテナは本当にカラだ。しかし、もう倉庫にはいないようだな‥‥どこに行ったか知らんがとにかく危険だ。そこのエレベータで合流して、上に上がろう。」

 リフレッシュ・ルームに戻り、全員で船長の連絡を待つ事になった。ベヒーモスがどこにいるのかわからない今、バラバラに行動するのが危険なのもある。
 レイチェルはいっしょにいづらいのか、それともカークを偲んでいるのか、ゲーム機の所で立っている。
「‥‥ごめんなさい‥‥私‥‥信じられなかったの‥‥。だって‥‥だってあんまり突然なんだもの‥‥」
 ヒューイはレイチェルの肩を叩き、大机の席に着いた。
 ボクはヒューイにコーヒーを運んだ。
「あ‥‥ありがとう。人間もすてたもんじゃないよって言いたいけど‥‥こんな状況じゃね‥‥」
 そういってヒューイは、辛そうだけど、微笑んだ。
 ヒューイはレイチェルの一件で、何かを吹っ切ったようだ。
 笑えるというのは大丈夫な証拠だ。
「なあに方法は見つかるさ。なんとしてもあいつをつかまえてやる。」
 ダースの方はむしろ、やる事ができて生き生きしているように見える。
 今心配なのはカトゥーとレイチェルだ。
 ボクは二人にもコーヒーを運んだ。
「‥‥ありがとう‥‥お前はやさしいわね‥‥」
「‥‥ありがとう。疲れたな、とても‥‥。」
 カトゥーはゆっくりコーヒーをすすった。
「ごめんな‥‥お前には‥‥もっと楽しい事をたくさん学んでほしかった‥‥」
 カトゥーは今にも泣き出しそうだ。
 いいんだよ、ボクはカトゥーに作ってもらえて本当によかったよ。
 そう言ったけれど、カトゥーには伝わっただろうか。
 その時、モニターにホルの姿が映った。前に見てからそれほど時間は経っていないはずなのにずいぶん見ていない気がするのは、やはり本人を見ていないからだろうか。
「大丈夫かね、みんな? 調子はどうだ?」
 ホルの一言にダースは怪訝そうな顔をして、モニターに近づいた。
「‥‥? 今ベヒーモスが船内をうろついているんだ!」
「何、それは本当かね!? それは‥‥気の毒に‥‥」
 ついにダースは、ホルに言った。
「何言ってるんだ! 非常事態だぞ! いつまで部屋の中に閉じこもっているつもりだ!?」
「何、それは本当かね!? それは‥‥気の毒に‥‥」
 それからノイズが入り、ホルはまた言い放つ。
「何、それは本当かね!? それは‥‥気の毒に‥‥」
 もう一度ひどいノイズが入り、今度はモニターの電源も落ちてしまった。
 今のセリフはカークが死んだときに言ったものと、全く変わりなかった。
 いくらなんでもおかしい。
 あれらは本当にホル?最初に声をかけてもらったときのホルは、一体どこにいったんだ?
「‥‥ベヒーモス?」
 レイチェルが呟いた。
 どうやらカークの事で頭がいっぱいで、ベヒーモスの話は聞こえていなかったようだ。
「これ以上カークを傷つけられるのはいやよ!」
「レイチェル!!」
 レイチェルがリフレッシュ・ルームを飛び出し、ヒューイはそれを追いかけた。
 カトゥーも追いかけようとしたが、ダースがそれを止めた。
「やめろ、死にたいのか?」
「だって二人が‥‥!」
 ダースはカトゥーを椅子に座らせ、自分も隣に座った。
 カトゥーも落ち着いてきたのか、静かに座っていた‥‥が。
「やっぱり‥‥放っておけないよ!」
 カトゥーは突然椅子からたち、部屋を飛びだした。
 ダースとボクも心配で、カトゥーの後を追った。



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